絵本屋のつぶやき
- 2020.07.13 Monday
- 14:03
閉じていた絵本屋引き継いで今年で12年目になる。
この10年、子どもの価値観の変革もあり、様々な絵本が出現し本棚を賑わせていた。市場には煌びやかに宣伝され何十万部というヒットを謳っても数年でブームが過ぎる絵本が近年目立ってきていると言える。各分野の識者の意見も購買に影響してか、絵本を扱うものから見ればおおよそ絵本と呼べない物ももてはやされ瞬く間に消えるのが今の傾向である。
その中でも、きんだあらんどが子供たち、または大人たちに優先して手渡していきたいと思うのは、長年読み継がれてきた名作と呼ばれる絵本である。静かで大人の鑑賞にも耐えうる絵の質、子だましではない真実の要素が描かれた物語にを有したものを私たちは絵本と呼んで扱うようにしている。
現代の子どもたちがあまり本を読まなくなったと言われて久しい。2019年の読書量は小学生が月に11冊、中学生が4冊、高校生は1冊であった。それも、大手出版社による「子どもが選ぶ本総選挙」などでランクインされている本を見たら、その読まれている本の内実が如実に表れている。上位10位にかろうじて文学作品と呼べるものは1冊程で、後はマンガのような絵本、「残念」という言葉で読む者の優越性を引き出す辞典、絵探しクイズのような絵本。生まれた時からメディアが傍にあった彼らにとって、目で訴えかけてくるもの以外は興味の対象とはなりにくく、じっくりと文と文との間にある物語を読み解くことに慣れていないことが良くわかる。これは、彼らの責任ではなく、「好きなように」と好みの自由を誤解釈して、子どもの本に関心を向けず環境をつくらなかった大人の責任だと言える。
絵本は幼児にとって想像性への興味の入り口であり、その積み重ねが、物語の興味、文学への興味と引き継がれる。幼児に好きな本を選ばせると、よほど絵本に親しんでない限り表紙で選ぶことしかできない。だから出版社も子どもが手を伸ばすような表紙の絵本を作る。以前より印刷技術が進化したので、1000部から絵本が出版できる世の中で、出版社はできるだけ費用対効果が高いインスタントな絵本を何種類も量産する傾向は、2020年以降も恐らく進んでいくであろう。出版と同時に重版未定の本が7割以上のこの現状は出版社全体が文化を担う側面と消費構造の矛盾を表しているように私は思う。
では具体的に、昨今メディアを賑わせているこれらの絵本と、何十年も生き続けている絵本との違いは何か。文学性の違いは言を俟たないが、二つを比べた時に、名作と言われる絵本には、必ず「共有する」姿勢が感じられることが挙げられる。そして、この欠如こそが児童虐待などを生み出した一つの要因にまでつながっていると私は思っている。
「共有」というのは、同じものを生活も考えも違うものが同じ心の地平に寄り添い、そしてある時間を過ごすことではなかろうか。そこに居合わせた者同士が理解し合うために、言語化され、より視覚を通して分かりやすく導くための道具として、幼児から続く絵本の役割があるが、それが今は刺激を通してただ反射的な楽しさを湧き起こさせる道具になってきていると危惧する。
買う側の大人の分かりやすい文学として紹介された絵本には、多くの場合は子供と共有できる物語性への配慮がなく、ドラマのような心の琴線をなでつけるような、甘い、もしくは大人目線の理解と満足を与える文学であることが多い。
だじゃれを基調にした絵本、うんこやおならなどの大人も共通するタブーを前面に描いている絵本、奇抜な表現でアンバランスさが奇異に見える絵本・・・質を問わない、新しいそれらが、「話題」や「大うけ」という言葉と共に、評価基準が分かりにくい絵本の価値を「何万部」という数値で示して母親の購買意欲をそそっている。大多数に支持されているものこそ良いものだという大衆心理に巧みに誘導されて、「よい絵本」に変わっていく。
この大きな流れこそが、初期の文学への感動を奪い、より派手な物への関心を助長させていった要因であると私は思っている。
そして、この文学の乱れに何も言葉も意見も持たず、子どもに受けるにまかせて絵本を紹介していった絵本に携わる方々の力量不足もまた、ともに功罪を担わなければならないと、私は思っている。ただ「うける」ことへの興味を優先した絵本の紹介が「文学への興味」への誘導と考えるのは、幻想であると、小学生になって何を選んだかという事実が示しているのではないか。読書環境全体への提言をする時期に来ている。
また拡大すれば昨今ニューズに上がる児童虐待の問題も、目の前のわが子と何かを共有する姿勢が少しでもあれば、起こりえないことであった。一個の人間としての敬意をどの段階で感じるか。「敬なき愛は、これ獣畜なり」という言葉は、今、喰うに困らない我々の中でこそ問われるべき問題である。
幼児に最初に美しいものを渡したいと願う、私たち絵本屋の役割は何だろうか。
膝の上で絵本を読みあうという純粋な平和な風景こそ、大きな平和の基礎をなすものである。そう信じて12年前に私は絵本屋を引き継いだ。日常におけるメディアの増加、情報の氾濫、またモラルの低下など、山積する課題の中で街の小さな存在ができることは限られているが、それでも絵本を手渡す真摯な姿勢を崩さず続けていければと願っている。
きんだあらんど店主
蓮岡 修