『せかいいいちうつくしいぼくの村』との出会い。

  • 2019.10.12 Saturday
  • 09:49

 よくよく人生は不思議だと思う。今、こうやって絵本に携わる人生を送ってはいるが、私自身は小さいときから絵本に親しんでいたわけではなかったし、大きくなってからも絵本は知っていたが親しいものではなかった。そのきっかけを辿っていくと、学生時代に通ったアフガニスタンの現場になり、その後に参加した水源確保事業になる。そして、人生をどう生きようかと迷っていた時、たまたま引き受けた仕事で、再度アフガニスタンに行った現場での絵本との出会いになる。
 改めてその時を思い出してみた。

 

 私は、かつてアフガニスタンで働いた経験を買われ、2003年.アフガニスタンの首都カブールで、日本の映画撮影隊と現地の政府や映画会社をつなぐコーディネーターのような仕事をしていた。
 滞在期間中、政府との交渉、必要物資の買いだし、ロケの先行、現場の設営など、町を歩き回ることが多かった。復興景気に沸く町は、物があふれ様々な人種が入り乱れにぎやかだが、その一方でたくさんの難民、戦争孤児たちが路上で生活していて、道行く人から施しを受けて命を繋いでいた。


 ある日、ロケをするために歩いている時、数人の孤児たちが本を囲んで車座に座っているのを見た。ふとその中心にある絵本が目に留まったので立ち止まり、真ん中の本に興味を持って近づいた。

 前年に暫定支配をしていたタリバーン政権がアメリカによって崩壊し、鎖国を解かれた親米政権は、原理主義的な宗教教育の代わりに、国際的な支援を基軸に据えた新しい教育政策に乗り出す。タリバーン政権時代には、映像、写真だけでなく絵の所持も描くことも禁止されていた為、人々は娯楽に飢えていた。子ども達も、各国が優先的に行った教育支援の一環で配布した、様々な絵本を貪るように読んだ。
 たくさんの絵本が子どもたちの手に渡ったが、それは一部の子どもだけだった。文字を読めない子、大量に発生した戦争孤児、仕事に明け暮れている子どもたち。そんな子供たちを対象に、日本のNGOが絵本作家と協力し絵本を配った。それも、各国が争って配った自国の支援をアピールするような甘い内容の絵本ではなく、アフガニスタンの少年を舞台にした純粋な絵本を。
 その絵本は、そのまま転売し換金することを想定されていたので、子ども達はそれを心から喜んだ。また支援の一環であったのにも関わらず、その絵本は教育的な視点ではなく、純粋な文学的な作品であった。そして文字も読めない子どもたちの間でも話題になった。

 近づいても気づかないのか必死で見ているその絵本を、私は彼らの頭越しに見た。柔らかい線、鮮やかな色彩、でもそれはどこか日本的な謙虚な色合いがあった。ローマ字で「JAPAN JR」の文字が目に入り、その絵本が日本の関わりで作られたものであることが分かった。
 絵を見るだけで物語の内容は分かるほど、その絵はアフガンの生活や人たちを性格に的確に描いていた。静かで繊細な人々の表情も語りかけてきそうな印象を受けた。
 少年が、お父さんと一緒に町に果物売りに行く。なかなか売れないけどあるきっかけで売れ始めて、親子は儲けたお金を使って一匹のひつじを買って、村へ帰る。夕方に皆が外に集まる平和なひと時。
淡々とした平和の話が、最後のページのくすみで、一瞬にしてなくなることが分った。
 私に気が付いた少年の一人が開口一番、嬉しそうにこう言った。
「これ日本人が描いたんでしょ?」
 支援という名のもとに、たくさんの物資が流れ込み、そのことで様々な混乱も発生したこの国の人々は、建前とは別に外国人に対して本心では心を開かない。国連や国際赤十字、NGOの華々しい活動も現地密着を強調しているが、住人達は大きなランドクルーザーで守られながらやってくるサングラスをかけた彼らを心から歓迎することはない。かつて、その現場で苦心して生きてきた私は特に子どもの持つ光と影をよく知っている。だが、その子の目を見たときに本当に日本人が好きなのだと分かった。それは「自分たちをここまで知ってくれている人」に対する彼らの精一杯の信頼、敬意が感じられた。
 私も、明るい声で「そうだ」と答え、その本を買い取らせてくれと提案した。そして、そこにいる全員にいきわたるように細かく札を数え、孤児たちが驚き、普段聞かないような声で感謝する程の値段で買い取った。


 ホテルに帰って、レストランでその本を開いて読んでみた。
 安い紙で作られてはいるが、きちんと製本され、アフガニスタンでは珍しい本物の本の造りだった。日本語では何て書いてあるかは分からないが、全てミミズが這ったようなペルシャ語表記に書き換えられている。その絵はくすんでいてもどこか懐かしく愛おしい感情を思い起こさせた。
 残飯を掃いて回っていた小学生高学年くらい掃除婦の少年が、最初のページを指さして、「パグマン」と叫んだ。
「これ、パグマン!」
 身振り手振りで、彼は、絵本に描かれた桃畑がひろがる丘の近くから来たと体中で私に伝えた。
 絵を見て自分の故郷を思い出した少年と、それを描いた日本人がいる。そのことが私を感動させた。
 胸があつくなって、私はその絵本を「君のだ」と彼に手渡した。
 彼は驚いた目でそれを受け取ると、ほうきを床に投げ出して胸に手を当てた。
「神のご加護を」
 たいそうにも私に(ドクターサーブ)と敬称をつけて祈った彼を「はやくいけ」主人の目を気遣って私は追い立てた。
 一冊の本が何人の子どもの心を癒したことだろう。こんなに直接的に子どもの心を動かしたものを間近で見たことが驚きだった。
 目で礼を言い、すぐに向こうに行ってしまったその少年を見送りながら、私は日本に帰ったら、絵本というものを読んでみようと思った。
 何から読もうか。とりあえず、あの緑色の絵本を探してみよう。
 頭の隅で作家の名前を思い出してノートに走り書きをした。

 

 「YUTAKA KOBAYASHI」


 その絵本が『せかいいちうつくしいぼくの村』だった。
 
 船長

 

 

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